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「理想の場」 No.293

 お互いによくわからないままに、そのつながりを超えた何かに触れている、先生と生徒でもない、人と人でさえない、そんな場が好きです。幸いに、私自身はそういう経験をたくさん味わえました。以前の教室でも、全体で行われていたときもあれば、そのうち1人、2人がそうなっていたときもありました。

そのうち成り立ちにくくなったのは、早く効果を狙う人が多くなったことや、余計な情報が邪魔しだしたせいでしょうか。

こういう場が唯一なら、皆、そこで行うしかない、やるしかない、そのうち気づいていきます。

しかし、初回から「ここはどうなのか」「先生はどうなのか」「他より早く学べるのか」「だめなら別のところへ行けばよい」そういう頭をもつ人とその状況下では、本当に学べる場は、なかなか成立しにくいのです。

ある意味、学びさえが自由競争になってきたわけです。サービス、おもてなし、価格などで価値づけられるようになったのです。

そういう点では、権利ではあっても、それを強制的にセットされる義務教育などは、もっと感化できる機会なのにもったいないことです。先生が知識を教え、生徒がそれを覚えることで終わっているかのようです。いや、先生も今や雑務で忙しく、教えることに専念できない状況だそうです。でも、そういう先生とは、教室で教わるより、掃除と雑用を共にしつつ、人間関係、家庭関係のトラブルを相談するというのも捨てたものではないと思います。

出世競争を避けて、長く、よりうまく教えたいという先生は、新しい時代に対応していっているのでしょうか。 

私自身は、求められることをしつつも、かつてのよいところを残していくのに苦心しています。日本の0.01パーセントの人がわかってくれたらよい、いえ、わからないままに成り立てば、なおよいと思うのです。ここだけはネットでは無理、生身に時空間を共有しなくては成り立ちようもないところなのです。