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「声の出ない体」 No.287

 声の出ない体をみることが多くなりました。
 今の日本の話です。教育によって教わらなくては物事は学べないということで、誰かの認めた基準に合わせようと躍起になっているようにも思います。そこは正論や善悪という基準によっているのでしょうか。
歴史を学べばそんなものは、100年ももった試しがない。そこから考えていくべきなのに、それに当てはめていくのを学ぶことだと思うようになって、そうでないとまともでないとなってきたのでしょうか。いや、まともでないことがなくなっていっているのでしょうか。まともしかまともでないといえば、その通りですが。それではつまらないでしょう。
 国や政治が私たちをうまく管理するためにも、教育があるのはわかってもいたのですが、それはそれで利用していく価値も充分にあるのです。むしろ、最大の障害は、これから何かをなすべきかを考えず、なしたいこととあるはずの側にいなくなっていることです。自らが声の出ない体を求め始めているとさえいえるかもしれないのが、現状のようにも思えるのです。
 皆が、それぞれに異なる声をあげた上で調和していくのが、人間が求めてきた理想です。誰も声をあげなくなる、それは豊かで平和である証かもしれません。でもいつか、皆が声を出さなくなったとき、大きな声を出せる独裁者に盲目的に従属させられてしまう。
本気でヴォイストレーニングを必修にするか、寺子屋の音読と武道を活用するか考えて欲しいものです。
そういえば、ワールドカップでのCMが「声を嗄らす準備はいいか」、応援する前から声が嗄れると思っているのは、世界広しといえども日本人だけでしょうね。