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「医者のタレント化」 No.280

TVから雑誌、本まで、マスメディアでやたらとお医者さんの出番が増えているように思います。でも、そこでもてはやされている医学的根拠などというもののほとんどは、人の体でいえば、その表れた結果への後付の解釈にすぎません。事故の骨折など、単一の原因で起きていることには当てはまるとしても、多くのことはいろんな要因が絡み合っています。人の体なら、なおさらです。まして新説や新データなどというのは、とりあげてよいのかと思うようなものばかりです。

 医者や科学者の確証として示される「二重盲検試験」でさえ、「偽薬よりも効くならOK」といったくらいです。相対的にOK、つまり一般的によりよいというだけなのです。「何もしないよりもよい」なら、よいというので使えばいいともいえることもあるのですが、なかには「何にもならない」どころか「何もしない方がよかった」こともあるのです。放っておいても、治るものは治るのですから。

 天気や災害情報一つとっても同じデータから伝えるときに、必ずいろんな要素が入ってくるのです。台風18号が被害をもたらしたため、19号のくる前は避難区域ばかりの警報になりましたね。今は、そんなものなのです。

 誰に、どうして、どうなった、その結果とは何をもっていうのかを定めきれなければ、本当は科学などというものではありません。ただの統計学や確立論のようなものです。(しかし、これがまた、もてはやされています。金融で懲りたはずなのに…。その金融も懲りず、また欧米へ貢納するわけですが。)

 だから“科学的”というのでしょうか。本質は、科学者、医者などの言うことより、むしろ素人やおばあさんの知恵、子供の直感に表れるのかもしれません。ともかく、自分に敏感になることです。これが発声や歌唱になれば、そういった根拠などありえないに等しいのです。

 その上で、ですね。クリエイティブな分野は、失敗や最悪の結果になったとしても、何もしないよりもずっとよいのです。そこを体験したあと、いかに学べるかです。いくら知っていても、考えたところで仕方ないのです。本当に使えるものは経験からしか得られないものなのだからです。