bvt

レクチャー&レッスンメモ No.305

思考やメンタルと行動実践の両立

自己実現は、他力実現、世界実現へ

いま、ここで、いつかどこかで

いま、ここで実現しつつ、開かれて生き生きしていること

考えるより感じること

 

動的、系的、重層的、鎖状

しゃべり方の調子と気持ちの持ち方

接し方対応、録画でチェックする

 

メリット=デメリット

労力、目的意識

ぬくもり、温かさ、居場所

安心安全、内在、土着

闘争と笑顔

勝つと笑顔

ネットは点と点

Commune、共感、親しく語る(地域)

キーワード、パスワード、イメージ回帰、ジングス 儀式

声は無意識―意識のブリッジ

 

相手を選ばない

問わないで働きかける

突き刺さるインパク

すぐにわかる、通じなくとも伝わる

飽きのこないもの、接するたびによくなるもの

継承されてきたもの

個性が強いからといって、本物でない、くせがある

円熟、バランス、名人の綱渡りはとれない

サムシング・グレートをもつ

人前にさらして問う

 

「内臓波動」(三木成夫)

ことば>声>息(ため息)

能のコミ、深い息、ライブ、太い息

「真人はかかとで呼吸をし、素人は喉でする」(荘子)

ひしぐ能管の喉のヒシギの囃子(はやし)

〇方言と共通語 No.305

〇方言と共通語

 

 私は転校が多かったので、そのごとに、その地方のことばを覚えました。いわゆる方言です。

 もし、あなたが地方にいて、いつか東京や大阪に出るとしたら、ことばにギャップを感じ、音声を学び出すかもしれませんね。海外の国に行くときも、その国のことばを少しくらいは学ぶでしょう。

 地方によっては、使う言葉が共通語と大きく違うために、共通語の音声教育をするところもあります。「さしすせそ」などが苦手な地方もあります。

 ただ、TVのおかげで、今の子供は全国どこで育っても、東京や関西のしゃべり方は、番組から学んでいます。東北の出身で、ズーズー弁になるようなのは、意識的に直しています。

 これはヴォイストレーニングというより、発音、アクセント、イントネーションの矯正です。

 逆に、日本語以外の言語をネイティブとしている外国人の日本語が、どこかおかしいのは日本人なら誰でもわかるでしょう。あれだけ優秀で日本語もマスターしている外国人が、日本人の日本語と同じに聞こえないのは、先に述べた言語学習の年齢制限(臨界期※)にも関係しているのです。つまり、脳の配線が違うのです。

 人によって、たとえばサ行やダ行がうまく言えない人もいます。しかし、苦手な音があってもだいたい、一つの言語がしっかりしていたら通じるように直せます。

 

○アナウンサーの「共通語」は、生活のことばではない

 

1.一般・・・ 方言、下町ことば、関西弁、博多弁など

2.アナウンサー・・・ 標準語、高低アクセント、イントネーション

3.役者・・・ せりふ、言い回し、演技 (胸声中心)

4.歌手・・・ ハイトーン、ファルセット、ビブラート、ロングトーン

 

○音節(拍、モーラ)と単音

 

 たとえば、日本語を「ニホンゴ」とひらがなで書くと、「ニ」、「ホ」、「ン」、「ゴ」という四つの文字ですが、そのニやホが一つの単位のように思えませんか。

 数えてみると、ニホンゴで4つ、同じ長さで4つの音が並んでいますから、これを4音節と数えます。

 それでは、「汽車ぽっぽ」は、キシャポッポ、これは6つの文字ですが、読むとキシャ、ポッ、ポで、4音節ですね。これは、4拍という方がわかりやすいかもしれません。

 ローマ字で表わしてみると、ニホンゴは、Ni Ho N Go、汽車ぽっぽはKi sha po ppo ? となります。

 ここで、kstnhmyrwと母音aiueoを単音といいます。

 これが、日本語の最小単位です。

 

 直音というのは一つの文字を一拍で数える音です。 しかし、小さいャ、ュ、ョがつくと、キャと二つの文字を使いながら、一つの発音(一拍)です。

 これは3つあります。「ン」、「ツ」、「ー」は、それぞれ撥音(ン)、促音(ッ)、引く音(ー)という特殊拍です。

 外国語では、これを一拍とはしません。たとえば、ホンで二拍になる日本語に対して、HONで一拍です。

 しかし、日本語のグー・チョキ・パーの遊びでは、グリコで3拍は、パイナップル、チョコレートは、6拍と数えていました。本当は5拍です(拍の長さが均等になることを等時性といいます)。

 

○書きことばと音声ことば

 

 私たちは、文字で書いたものをそのまま一つずつ、音声にして話しているように思っていますが、違います。

 たとえば、「日本」は「ニッポン」とも、「ニホン」といえます。しかし、文字では「ニホン」とふりがなを振ります。

 「NHK」は、「エヌエイチケー」と言いませんね。ほとんどの人が「エヌエッチケー」といいます。「エヌエチケ」「エネーチケ」という人もいます。「私」というのは、「わたし」か「わたくし」でも、「あたしぃ」などと使われていませんか。

 「ラ抜きことば」といって、「みられる」「たべられる」を「みれる」「たべれる」という人も増えています。

 ことばは時代とともに変わっていくのですが、その基本的なところで表わしたのが、書きことばです。方言や外国語は、日本語の五十音だけでは正しく表記できません。

 つまり、同じ日本語でも書きことばと話しことば、文字と声での発音の世界は、違うのです。声のもつ多彩な表現の一部を、文字は表わしているにすぎないのです。(音楽と楽譜の関係に似ているかもしれません。)

日本語の発音に、外国語の音が入っているのに、私たちが認識していないこともたくさんあります。

 

○話しではわかりにくい日本語の音声

 

 他にも、耳で聞くだけでは、聞く人によってはよくわからないことばが、日本語ではたくさんあります。同音異義語は、その代表です。二重否定なども間違えやすいですね。

1.アルファベットの略語 NPOIT

2.外来語 「アウトソーシング」「ソーシャルワーカー

3.お役所ことば どこかの部署のみで使われることば 「策定する」

4.専門用語 などです。

 そこで、言いかえたり、説明を補ったりする必要があります。また、別のやり方として、ゆっくりと正確に読むなど、声の使い方を変えて、わかりやすくする場合があります。

 

 声のトーンや声に表われる表情も、いろんなことから感じられるものです。

 正しいか間違いかがはっきりといえるのは、敬語の使い方についてです。これについては、本もたくさん出ているし、学校でも、新入社員教育でも学びますね。

 ほかは、聞く人の感じ方や受けとめ方によるところが大きく、必ずしも客観的な基準があるわけではありません。TPOや相手との関係によっても違ってきます。

 口調、話しぶり、速度、声の大きさ、表情、視線、ことばの使い方、専門用語、略語、外来語、方言、コミュニケーションにおいて、「人間関係を円滑にするための働きかけ」や、「相手に配慮した言語行動」のことを、ポライトネスといいます。

「創造のための教育論」 No.305

先生は、その肩書、地位を与えられたら誰でもできるものです。人は、誰でもその気になれば教えることができるものだからです。むしろ、教えられる方が、ずっと難しいのでしょう。

教えるというのは、そこに今までなかったものを引き出すことが狙いです。知識などは、自分で調べればよいのです。ないものをつくりだすには、それが出てくるのを信じる力をもつことです。

私はこれまで相手が、こちらが教えたこと以上のこと、教えてもいなかったことを学び、成し遂げられるのを見てきました。

そのために、知っていることを教えようとしないことを気をつけています。すると、それを覚えることしか相手は考えなくなるからです。

同じことをくり返し、そこで同じようにみえても、同じでないことに気づいていくことを促します。

何を学ぶべきかを知らなくとも、何かが出てくる、何かを知っていると信じられることの方が大切です。

理解を超えたものがあるからおもしろいのです。

自分が知らないことを教える。

先生の知らないことを学ぶ。それが、レッスンという共有された場の力です。

教えられないことが、教えられたことを超えるのです。

それこそが、知識でない―知恵、発想力、創造力です。

「自力のつく学び方」 No.304

作品でも人でも、まずは、惚れ込めるか、感動できるか、そこまでいかないなら、好きであるか、そこからスタートするのがまっとうでしょう。

好きになるほど、悪いところがみえなくなります。あばたもえくぼなのです。

この、みえないうちに自分の内なるエネルギーで、どこまで突っ走れるのかが、案外と大きな成功要因のように思うのでです。つまり、そこで、かなり偏ってはいたとしても、主体性を確立する準備ができる、それが大切なわけです。

多くの人が学べなくなるのは、惚れ込み方や突っ走るエネルギーが少く、早く冷静になってしまうからでしょう。内に入るほどによくないところや悪いところもみえ、聞こえてくるからです。それは、不条理を学んで、自立するための踏み石です。

頭がよい人、情報収集のうまい人は却って難しいかもしれません。ネット社会では、内にも入らないうちに知ってしまったりするので、なおさら思い切れません。知ったかぶりで引き返してしまうのです。自らの手で変革しようと思わないのです。それは、力をつける本人自身に不幸なことなのです。情報に影響されない信心の強さが必要だと思うのです。

「作品と仕組み」 No.303

いかに変人で孤高であっても周りに認められていく天才を除いて、多くの場合、人は、現実に社会的な接点をつけなくてはなりません。まして、自らが何かを創り上げていくというのなら、芸だけでなく、人との関係を創り上げていくわけです。そんな大げさなことでなく、手助けをしてもらうということでも同じです。

 そうしているうちに、人との関係に翻弄され、つてはつくれても作品そのものに時間をとれなくなることもたびたびです。 

芸の中に芸を求めていく、その一方で、そこで作品がつくれる仕組みを整えていくことが必要となります。

仕組みがつくりつつ、それをどう維持するのか、作品づくりにどう専念するのか、人生、迷いは尽きません。

レクチャー・レッスンメモ No.302

身体と性格が出てくる

意識のもち方

集中度のチェック、自己分析で評価してみる

みえる、気づく、つかめる、力をつけていく

勘、感覚を磨き続ける

さらけ出す勇気

あり続けること

エネルギーの使い方

上達

生きる力

学ぶ力をつける

スポーツを基に考える

 

同じタイプの客がつく

お世辞を言われ、感心されて、自慢できると満足する

お客タイプと従僕タイプ

「物知りですね」と言われたら終わり

「へえ、そうなんですか」と相槌を打って続ける方がよい

おもしろがられても、そのうち飽きられて鬱陶しがられる

心理的間合い

 

素人支配で困るのは、素人

ジャーナリズムの伝え方

個人に合わせた現実社会

社会へ出ていくこと

思考能力を与える

学ぼうとする人

感動する人、感動を伝えようとする人

人気と人望

ひとつまみの塩

スポーツは、徹底して生身にこだわる

技術を目的、特化すると、次の時代に代わられる

○アーティキュレーション(articulation)滑舌 No.302

 これは、音の切り方、次の音との続け方、歯切れ、滑舌のことです。聞いていて歯切れがよいというなら、アーティキュレーションがよいといえます。

 そのためには、滑舌がよい、つまり舌が滑らかに動いてつっかからず、ことばがスラスラと出てくるようになることです。

アーティキュレーションには、発音の正確さにとどまらず、その声自体の伝わりやすさ、聞きやすさも含まれます。

 体の柔軟体操から顔面の筋肉体操と、舌や唇がいつも動きやすいようにトレーニングしておくのも、大切な準備です。

 

〇早口ことば(滑舌=アーティキュレーション)のトレーニング

 

 最初はゆっくりと発音をはっきりとさせてやってみましょう。あご、唇、舌などの発声器官を柔軟します。少しずつ速くしていきます。

 

<ア>あら、また、あかいはたがあがった、かった、かった、あかがかった。

<イ>いちり、にり、しちり、いちにちに、ぎりぎり、しちり、いった。

<ウ>歌うたいが歌うたいに来て歌うたえというが、歌うたいが歌うたうだけうたえ切れば、歌うたうけれども、歌うたいだけうたい切れないから歌うたわぬ。

<エ>蝦夷(えぞ)で暮すも一生、江戸で暮すも一生。

<オ>老いては負(お)うた子に教(おしえ)られ。

 

<カ>神田鍛冶町の角の乾物屋の勝栗(かちぐり)買ったが、固くて噛めない、返しに行ったら、勘兵衛のかみさんが帰ってきて、かんしゃく起して、かりかりかんだら、かりかり噛めた。

<キ>菊桐菊桐三菊桐(みきくきり)、合わせて菊桐六菊桐(むきくきり)

<ク>くりくり坊主が栗食って、くりくり舞をくりかえし、くるりと庫裡(くり)へくり込んだ。

<ケ>怪我負け、怪我勝ち、大怪我、小怪我。

<コ>小卵大卵(こたまごおおたまご)、大卵小卵。

 

<サ>笹原さん、佐々木さん、佐々三郎さん、三人早速あさって誘ってさしあげましょう。

<シ>信州信濃渋井村、新家(しんけ)の重(しげ)さんの尻にしらみが四匹(しひき)しがみついて死んだ。

<ス>住吉(すみよし)のすみにすずめが巣をくって、巣早すずめの巣立ちするらん。

<セ>浅草寺(せんそうじ)の千手観音(せんじゅかんのん)、専念千日千遍(せんじつせんぺん)拝んで、千束町(せんぞくちょう)で煎餅(せんべい)買って千食べた。

<ソ>そんじょそこらのそばかす小僧が、そちをそしって逃げたとしても、そちはそれほど、そっとこらえてそしらぬ顔とは感心だ。

 

<タ>この竹垣に竹立てかけたのは、竹たてかけたかったから、竹立てかけたのです。

<チ>茶たばこのんでたばこ茶のむ、茶たばこたばこ茶々たばこ、のむ。

<ツ>つるてんつるてんはぎわらてん、破れた前だれあててんてん、夏は寒天心太(ところてん)、島島弁天(とうとうべんてん)手をうちゃ合点、一天合中六天(いってんがっちゅうろくてん)、それで私のもとでこてん。

<テ>テレピン油(ゆ)を掌(てのひら)にたらして手と手でもんでおてんてんへつけて見ろ。

<ト>とてちてた、とてちて、とてちて、とてちてた、おっと踊った。とんつつ、とんつつ、ととんつつ、どんたく踊りをおどろうぞ。

 

<ナ>長持(ながもち)の上に、生米、生麦、生卵。なた豆七つぶ生米七つぶ、七つぶなた豆。七つぶ生米。

<ニ>二条の西の洞院(とういん)、西入人形屋(にしいるにんぎょうや)の二階で、鶏が二羽、西向いて逃げた。

<ヌ>盗人と濡衣担(ぬれぎぬにな)い、悩みぬぐえず、七日七晩(なぬかななばん)泣きぬれる。

<ネ>年々ふえる年祖捻出(ねんそねんしゅつ)、なんとかならぬか泣言(なきごと)ならべた。

<ノ>農商務(のうしょうむ)省特許局日本銀行国庫局。

 

<ハ>パイプの火の不始末から火花ふいて、本家分家を灰にした。

<ヒ>かえるひょこひょこ三(み)ひょこひょこ、四(よ)ひょこひょこ、五(ご)ひょこひょこ、六(む)ひょこひょこ、七ひょこひょこ、八ひょこひょこ、九ひょこひょこ、十ひょこひょこ。

<フ>武具馬具(ぶぐばぐ)、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具。

<ヘ>家(うち)の牛(べ)こはよい牛こ、隣の牛こもよい牛こ、向こうの牛こもよい牛こ、三つ合わせて三よい三牛こ。

<ホ>坊主の貧乏、非常にふびんと坊主と坊主の父母が、奉仕と募金。

 

<マ>青巻紙赤巻紙黄巻紙(あおまきがみあかまきがみきまきがみ)、黄巻紙赤巻紙青巻紙、長巻紙に赤巻紙。

<ミ>猫が拝(おが)みゃがる、犬が拝みゃがる、馬が拝みゃがる。

<ム>麦ごみ麦ごみ三麦ごみ、合わせて麦ごみ六麦ごみ。

<メ>ちょっと流し目したら、目くじら立てて怒られて、ひどい目に会った。

<モ>すももも桃ももう熟れたから、もう売れよう。

 

<ヤ>おやおや、八百屋さん、お綾(あや)は親とお湯屋(ゆや)よ。

<ユ>湯河原に遊びに行って夕月を眺めたら、愉快になった。

<ヨ>居合(いあい)の用意はよいな。用意はいいよ。よいよい。やあやあ、いよいよ居合をやるぞ。

 

<ラ>雷鳥は寒かろラリルレロ。

<リ>瓜(うり)売りが瓜売りに出て瓜売れず売り売り帰る瓜売りの声。

<ル>虎をとるなら、虎をとるより鳥をとり、鳥をおとりに虎をとれ。

<レ>冷蔵庫から、冷凍料理を出してこいと言ったら、冷蔵庫から冷凍料理を出さないで、冷蔵庫からビール出してラッパのみした。

<ロ>とろろ芋をとる苦労より、とろろ芋からとろっとするとろろ汁をとる苦労。

 

<ワ>わらわば笑え、わらわは、笑われるいわれはないわえ。

 

○滑舌のチェック

 

 最初から急いでやらなくてかまいません。少しずつ、スピードをあげていきましょう。スピードよりも、伝えることを忘れないように。

□のどが疲れない

□お腹からしっかりとことばをとらえている

□口先をあまり動かさなくても、相手がはっきりと聞き取れるくらいに言い切れている

□ひとつひとつのことばがしっかりと言えている

□そのうえで流れに、流暢にことばがのっている

「伝統は、革新」 No.302

何ごともめんどうなことをとことんとりくんだところにしか価値はでません。

それは、変革しつづけ、やりつづけ訴えつづけないとやがて消えてしまうのです。

 伝わってきたものを学び、継承、伝承するのでなく、革新することでもっとも本質的なことにつながる、そこまでいきついての伝統です。

 エネルギーを出し切ることに加えて、ねばり強さが必要です。

「初心と守破離」 No.300

守破離」ということばがあります。どこでも、破ったり、離れたりしないで守りに入って固まってしまう人がいます。日本人は、特にそれを美徳とする傾向があるようです。
破る離れるというのは、反抗するとかやめるとかいうような表面的なことではありません。そういうことは  「守」さえ、できなかったということですから番外です。
長く「守」を固めている、そのこと自体はとてもよいことです。
ただし、それが一つの理論、方法、やり方や一人の先生に負うものであれば、それは、自立していくプロセスの「破」、独自の世界を打ちたてる「離」でなく、「守」での同一化となります。
ある人やある組織の影響下で、その評価ややり方にすべてをゆだねるのは、まさに、「守」のための「守」に陥っているのです。内部の蓄積ならともかく、自己満足での空回りになっているケースも多いのです。それは、自分、または自分たちの満足です。

多くのスクールで、とても満足して通っているのに、ほとんど人が育たない、実力がつかないのは、そういうことなのです。そうならないように研究所自体は何度も革新してきました。

「守」として、学ぶのは、よりすぐれているものから学べるようになるためです。
なのに、そこで満足し、始めたときの好奇心、向上欲、新鮮さ、勇気を失い、より大きな出会いを拒んで閉じこもる。そこに身近で自分を理解してくれる人の存在が使われてしまうのです。少し、大きなひきこもりとも言えます。

偉い先生や有名人にレッスンを受け、その名の威光を借りている人たちも同じです。トレーナーが自分への信頼に加え、依存心を大きくするなら、逆行にさえなるのです。
同一化は奴隷化ともいえます。そのままでは、自力して輝く、その人独自の芸に育ちようがないのです。 
初心のときの一つ、踏み出す勇気を忘れないようにしてください。

レクチャー・レッスンメモ No.299

方法が目的になる。

習得することはエゴの強化になる。

内を見つめる、自分でなく神を。

平和な世界へ移るのでなく、今、ここを変えていく。

悟りに囚われない。

わけのわからないことを説く。

囚われていることと、その心に気づくこと。

他の力で解決しようとしたら力は削がれる。

自分で克服する力をつけること。

 

自分を騙すな。

愛を悪口で表現する人たちもいる。

求めるのでなく、求めようとする自分を突き放す。

聖者は親切でもやさしくもない。

欲を通して欲を飛び越える

方法を通して得るのでない、そういう考えをなくすこと

 

頭は使いだすと止められない、捨てるだけ。

勉強は、人との接点を詰めるためにする。

他の人の知識欲や興味を満たすために勉強しない。

他人の考えを取り込んでも自分のものは出ない。

盲目的で、自分の信じる世界に忠実な人もいる。

信じている自分も世界、主張する世界から抜けた人、固執しない人、部分に囚われない人、トータルとして生きている人こそ悟った人。

信じている世界を忠実に守る努力をしているのは、埋没しているともいえる。

よい信者は、よい兵隊になれる人たち

正しいか間違いでみると身につかない、役にも立たない。

躓いたときにそこばかりを取り上げる人もいる。

ここの考え方は違う、そう言うなら、わかるなら、そこ以外を使えばよい。

相手を否定したら何も残らない、何も得られない。

子供は誰のために産むわけでない。

利口な人は使えない。利口は、ぼんくらへの道。

~のふりをしない。

核心なく後ろめたいのは、そこに一貫したつながりがないからです。